米澤穂信『王とサーカス』感想 - ジャーナリストの本懐

米澤穂信『王とサーカス』読み終わった。

『王とサーカス』は太刀洗万智シリーズ(正式名はベルーフシリーズ)の長編ミステリーである。ユーゴスラヴィアからきた少女との経験(『さよなら妖精』)からジャーナリストとなった太刀洗万智が、ネパールのカトマンズで発生した、現実の事件『ナラヤンヒティ王宮事件*1』を舞台に起こった殺人事件の謎を解き、そしてジャーナリストの存在意義を問うミステリーとなっている。

注意してほしいのは『ナラヤンヒティ王宮事件』の謎を解くミステリーではない。王宮事件自体がかなり謎に包まれているので、そう勘違いしてしまうのも仕方ないのだが、作品で語られるのは創作の王宮事件の最中に起こった一人の軍人の殺人事件に関するミステリーである。

最初はカトマンズの描写や王宮事件のあらましにページが割かれ、死体が転がるのが200ページを超えてからであり、その犯人当て自体もすごく淡白で、がっつりミステリーを読みたいと思っている人には期待外れかもしれない。しかしこの本の真価はそこにあるのではなくて、犯行の動機と密接に絡んだジャーナリズムの在り方に関する考察だろう。

200ページまに至るまでも、そのジャーナリズムの在り方について太刀洗万智が作中で何度も問われる。私も、このブログだけでなく他にもブログを運営していて、プロではないものの何かを発信する立場の1人としては考えさせられる内容だった。

もちろん、どこの誰かがもう広まってほしくないと願っている話を、書くこともあるだろう。無邪気で無責任な噂好きのように。知りたいと思うことはエゴかもしれないけど、そこには一抹の尊さがあると信じる。ただ知ることを求め、一心不乱に学び続ける人間は、美しくさえあるだろう。けれどそれを他人に伝え広める理由はどこにあるのか。

わたしの仕事には、他人の悲劇を見せ物にしているという側面がある。それは否定できない。問題は、それにもかかわらず伝えねばならないという哲学を持ち得るかどうかにある。

実際にブログを書いていると誰かが炎上したという記事は多くアクセスを集める。しかし何かを褒めた記事は頑張って書いても全然アクセスが集まらない。人間はもちろん私を含めて、他人の悲劇を娯楽として消費している。それが良い悪いは置いておいて、発信する側は覚悟を持って書かなければいけないと改めて感じさせられる。

作中で太刀洗万智は、ジャーナリストとして生きていく決意を新たにする。それは誰もが何かを発信できるようになった現代では、ジャーナリストだけでなくすべての人間が勇気付けられるものかもしれない。

以下あらすじの後にネタバレ。

二〇〇一年、新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智は、知人の雑誌編集者から海外旅行特集の仕事を受け、事前取材のためネパールに向かった。現地で知り合った少年にガイドを頼み、穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先、王宮で国王をはじめとする王族殺害事件が勃発する。太刀洗はジャーナリストとして早速取材を開始したが、そんな彼女を嘲笑うかのように、彼女の前にはひとつの死体が転がり…。「この男は、わたしのために殺されたのか?あるいは―」疑問と苦悩の果てに、太刀洗が辿り着いた痛切な真実とは?『さよなら妖精』の出来事から十年の時を経て、太刀洗万智は異邦でふたたび、自らの人生をも左右するような大事件に遭遇する。二〇〇一年に実際に起きた王宮事件を取り込んで描いた壮大なフィクションにして、米澤ミステリの記念碑的傑作!

最後に記者が来たから殺人事件が起きたという文章がありますが、これは本格ミステリーでいう広義の後期クイーン問題を孕んでいる。ミステリーは小粒な印象だが、そういう点では本格らしい作品とも言えるのだろう。

*1:ディペンドラ王子が国王王妃含め9人を殺害した事件